スポンサーサイト
一定期間更新がないため広告を表示しています
味を表現する。
相手とのコミュニケーション、
または、自分自身で味を再現したいので、
記憶にとどめていくために。
味は美味しい、まずいだけでなく、
五感も含まれていることは事実。
作り手としては、同じ味を再現するときのために、
ノートをとることも多々。
自分自身の感覚に頼る時、
他の食べ物に頼ることも。
例えば、酸味だと、フルーツとか。
自分は、風景や、自然の営みに頼ることもあります。
8月の山の早朝で、霧が薄く、陽の光が八方に反射しているような情景の味。
または、冬の雪山の寒さの中で見る、ランプの光。
とか。
日々、同じ表現方法で自分で思考していると、
味の明るい、暗いが、
どのような明るさの味か、または、暗さの味、苦みが残るから暗さを感じるのか。
味に対してのふり幅や、感覚が理解されてくると思うのです。
一緒に歩む人が同じ表現方法だと、
お互い理解があり、楽しいかもしれませんね。
でも、異なっても、その違いが人それぞれの受け方、味わい方で。
今なお80歳過ぎても現役訪問診察医師、
小堀鴎一郎さんの言葉。
自分はすべての事を他人事だと思って暮らしています。
人間関係を全く個別に考えるというところが、自分には根源的にあるんです。
だから、そばに寄って抱きしめて、
「泣かないで」「力落とさないで」と言うような、
センスが微塵もありません。
「抱きしめたって救われないんだ。」というあきらめがあるから。
一線を越えて行動している方だから伝える言葉だと思う。
あきらめの中に生まれる、本当の魂と魂の繋がり。
時に人を抱きしめる時、
もしかしたら、自分がなにもできないから、
自分に対して、偽善的、何かしてあげれたという、
自分の気持ちを包むためだけにしているのかなと思った事もある。
そんな時に響いた言葉。
人に対して、懸命、自分に対して賢明だろうか?
故人を想う時があります。
その方の誕生日であったり、何か共通の記憶の日であったり。
残された者として、故人に会いに行く場所。
普通にお墓でしたり、
または想いでの場がある人は幸せですね。
故人が所有していた物に心を添えることも。
地に生きる人(自分も含め)、
わからないから感じるしかないと。
地上にいると、墓参りの札の価格や、
お焚き上げの価格は、
やはり、現世の方たちの考えで決められている?
本当は、故人はどう感じてる?
と答えのない疑問を持つこともあります。
自分の想いで背伸びをせず、
心持ちも身の丈を理解しつつ、
想いを大切にすると、
故人の声も聞こえてくるのかなと思う。
草枕 夏目漱石
山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば、角が立つ。
情に掉させれば流される。
意地を通せば、窮屈だ。
兎角、人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると安い所へ
引き越したくなる。
どこへ越しても住みにくいと
悟った時、
詩が生まれて、画ができる。
久しぶりにりんごケーキを焼きました。
友人が焼いている姿を見て、
教えていただいたのです。
生りんご入りのアップルクーヘン。
自分で作ってみると、
あれ、見て理解してるよね、と思う部分が
思い出さない。
レシピはある。
でも工程が記憶の隅に追いやられ、
ポイントが、、、。
人に教えていただくとき、
やはり、メモは必要と
初心をかけていた自分に気づくのです。
久しぶりのガスオーブンも、
懐いているわけはなく、
火加減の調整がわからない。
底が黒焼けのケーキになりましたが、
味はよし。
日々、続けてすること、
久しぶりの時は確認を怠らず
取り組むこと。
当たり前の事を気づく
ありがたい、新年。
焼きという作業は、
もしかしたら、どの分野にしても、
秒を考えるのかも、しれません。
パンの焼き色を確認するのもさながら、
もう一歩、焼きをつけたい、
温度、秒数?
もう一歩のラインは
焼き過ぎか、パンの質や味を向上させるライン。
しっかり焼きを入れる事で、
日持ちもするし、味も安定する。
30秒、1分、ときに、、、、10秒カウント?
悩む事ができず、経験で即決するわけですが、
脳内の栄養を消費しているかのような。
日常の動きでは、あまりない時間の経過と感覚。
色や変化との対話は楽しいものです。
尋ねる事、どうでしょう?
カフェに来られた方に「どちらから」とお聞きすることがあります。
静かに、黙々と食事を楽しまれている方。
気になるんです、こちらも。
友人に勧められて、
遠くの知人にパンを頼まれてとか。
年配の男性の場合、
オーナーが声をおかけすること時々あります。
同世代、気になるようです。
家族に頼まれて、パンを買うついでに
寄られたようです。
ゆっくりと、天井を見ながら、
スープを食べてくれたり、嬉しいばかり。
一人でも、ゆっくり時間を過ごせる、
そんな大人になりたいものです。
時勢、人の家を訪ねるのも
気をつかいますが、
気持ちはすでに、
玄関をノックしているのでしょう。
気持ちは伝わるものだと信じます。
小さき愛しい物、事。
言葉なくとも、
会うだけで、見るだけで心が優しくなるもの。
1月1日に山でであう、
やまがら、白い雪の中で色鮮やかに
小さな身体を空気で膨らませ。
元気に。
越冬のさなぎ、
家の中で何を想うのか、
蝶に。
家の中の春を感じる。
美しい、小さい物への
安らぎはありがたい。
珈琲を飲みながら、
本を読むことが好きなんだろうと思うのですが、
珈琲店で気になる音楽や、
好きな曲がかかると、
本の内容が頭に入らず、
ぼーっと聞き入ったり、
身体で聴き始めてしまったり。
好きな事、興味ある事が2つ重なると、
難しいようです。
次の音は何になるのだろうか?
と鍵盤の音色にとらわれて、
活字が脳に残らない。
そんな、日もいいものだと
店を去るのです。
珈琲の味?
そんな日は、
印象は薄れるのですが、
美味しい珈琲は、
ただ、寄り添ってくれているのかなと、
言い訳をするのです。
明けました。
今年もよろしくお願いします。
日々は変わらないけど、
1日の中に、常に
喜怒哀楽があることを
感謝をして、1月がスタート。
何歳になっても、
たどり着きたい、物、事があります。
それは、人であったり、また、その人が作り出した物であったり。
その人が作り出す、その物を自分も作りたいと、
願うのですが、経験、費やした時間が異なる事から、
生みだされる物の違いがあります。
その人と同じ歳になった時、
自分は同様の物を作り出しているのだろうか?
または、リズムのある生活をしているのだろうか?
目標があること、
少しづつだけど、
自分を試しながら、歩んでいると信じたい新年です。